基本のいろは

カタかたり

この世界はモノゴトによって成り立っている。
モノは見たり触れたりできる現象。
コトは直接見たり触れたりはできないがその働きや流れ、変化などを感じることができる現象。
伝統的な世界においては根源的な部分を非常に重視するため、結果として現れる部分よりもその結果を導く要素やその方向性などが大切にされる。
目に見えない何かを捉えてそれに働きかけていくことを学ぶ場合、それをどのように認識するのか、どのように整理するのかが最も重要な学びとなり、それを基本と呼ぶのである。

基本には、それを学ぶに足る二つの要素がある。

一つには何かを推し量るモノサシとしての働き。
基本とは、学んでいる何かにおいて行われる作業において、基準となりうるシンプルかつ共有される所作である。共有されうるシンプルな所作であるがゆえに、様々な作業における個々の所作がそれとどう違うのかを比較することで、状況を整理し、違いを認識して学びやすさをもたらす働きがあるという点で尺度としての働きを持つ。

そしてもう一つ重要だが見落とされがちなのが、学ぶにあたっての方向付けの役割である。
動作を行う場合、何時何処で誰が何をどうするのかという状況なしに物事を推し量ることはできない。基本の理解ができない人たちの場合、この状況認識に問題があるように思われる。基本という以上、なるべく状況は少ない方がよいのは言うまでもないが、しかし、人が地球上で生活している中で行われる行為である以上、個々の置かれている場によって状況は異なるというのも事実である。
それゆえ、基本であったとしても状況によってその見え方が逆になる場合も少なくないのだが、基本を単なる手順として理解している場合、このことがわからないのである。

コトを扱う領域においては、行為には3つの要素がある。何かをしようとすること、それを維持すること、それをやめることの3つである。伝統的な世界観はそれぞれの地域における神話と大きくかかわりを持つ。そして世界を生み出す神話の中でそこにかかわる神々の働きもまたこの3つであることが多い。「創造」「維持」「破壊」である。神とは世界を生み出しそれを管理する働きである。世界とは一つの場であると言い換えてもよい。この世界(場)を学ぶに際し、その場を保つ大いなる意志(流れ)を学んでいく過程、そして、それを理解してその状況を保つ過程、そしてそこから離れていきより大きな場へと移行する段階のそれぞれにおいて、同じ基本の形であったとしても、その意味と方向性が異なっている。

他でも繰り返し述べていることだが、伝統とは固定化された何かを伝えることではない。「統」を伝えることなのである。「統」とはその世界が常に生き生きとしうる状況を保つための本質的な要素であり、その根源的な部分において創造・維持・破壊の3つの学びが重要なのだ。


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