2021.11.06 稽古会日誌 その8

稽古会日誌

今日は稽古会のメンバーが高校生の息子さんを見学で連れてこられたので、形稽古を記述するための根幹をなす陰陽の概念と礼法の意味の説明をしてから体験的な稽古を行う。
特に体を動かすことも積極的にはしていないとのことであったが、逆に変な癖もないのでこちらとしては説明がしやすい。それがわかりやすいかどうかはまた別な話ではあるが・・・。
本日は狭い部屋での稽古でもあり、「しないこと」の学びをテーマとして行うこととした。

私たちは稽古を行う。
それはしようとすることから成り立っている・・・、ように思っている。
だが、そうではないということの気付きを得ることが今日のテーマということになる。

私たちは稽古を行う。
だが、しかし、そこで今日学ぶことは「しない」ということである。
稽古をしない、のではない。もちろん稽古は行う。だが、しないことをするということに取り組む訳だ。

結局、動作を行うにあたって、私たちは何かをしようとしてしまう。そこで、あらためて、何をして、何をしないのかを自ら確認していくことを通して、自らの動きを、そして、自らの考えを問うのである。

私たちは心形刀を学ぶものである。
それはつまり、心と形とを問うのであり、それゆえに「心形問う」なのだ。

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